事業承継という大きな節目において、多くの経営者様が「人」の問題、つまり後継者選びや育成に心を砕かれます。
しかし、それと同時に、いや、時としてそれ以上に深刻な課題となるのが「お金」の問題、すなわち資金調達です。
長年、銀行の法人融資部で300社以上の中小企業の融資審査に携わり、その後、日本政策金融公庫での経験を経て、現在は独立したファイナンシャルコンサルタントとして多くの経営者様をご支援させていただいている私、佐藤誠一郎から見ると、この資金調達の準備不足が原因で、円滑な承継が妨げられるケースは決して少なくありません。
この記事の目的は、単に資金調達の方法を列挙することではありません。
金融の現場と経営支援、その両方の視点から、事業承継をスムーズに進め、次世代への確かなバトンタッチを実現するための、実践的な資金戦略の知識と知恵をお伝えすることです。
「うちの会社はまだ先の話だから」とお考えの経営者様も、ぜひ「今から」できる準備の重要性を感じ取っていただければ幸いです。
なぜ事業承継に資金調達戦略が必要なのか?
事業承継と聞くと、多くの方が「相続」のイメージを持たれるかもしれません。
しかし、この二つは似て非なるもの。
この違いを理解することが、資金調達戦略の第一歩となります。
「相続」と「経営承継」は別物である
まず明確に区別しておきたいのは、「相続」と「経営承継」は目的も対象も異なるということです。
相続とは、故人の財産や権利・義務を法定相続人などが引き継ぐことです。
これは法律に基づいて行われ、必ずしも経営権の移転を伴うものではありません。
極端な話、会社経営に全く関心のないご子息が、法律に基づいて自社株を相続するケースもあり得るのです。
一方、経営承継とは、会社の経営権、そして事業そのものを後継者に引き継ぐ行為を指します。
これには株式だけでなく、長年培ってきた経営理念、独自のノウハウ、そして大切な取引先との関係といった、目に見えない無形の資産も含まれます。
後継者はご親族に限らず、有能な従業員や外部の第三者であることも珍しくありません。
この違いを認識しないまま事業承継を進めようとすると、思わぬところで資金的な問題に直面することになります。
例えば、相続によって株式が分散してしまい、後継者が経営に必要な議決権を確保するために、他の相続人から株式を買い取る資金が必要になる、といったケースです。
資金不足が引き起こす事業承継の失敗パターン
私が銀行員時代に見た融資審査の現場では、資金調達の準備不足が原因で、事業承継が暗礁に乗り上げてしまう事例を数多く目の当たりにしてきました。
具体的には、以下のようなパターンが典型的です。
- 株式買取資金の壁: 後継者が現経営者や他の株主から株式を買い取るための資金を準備できず、結果として経営権を十分に掌握できない。これでは、思い切った経営判断などできません。
- 納税資金の重圧: 事業承継に伴い発生する相続税や贈与税は、時に想像を超える金額になります。この納税資金が用意できず、やむなく事業用資産を売却したり、過大な借入を背負ったりして、承継後の経営を著しく圧迫する。
- 運転資金の枯渇: 承継直後は、経営体制の変更や取引先の様子見などから、一時的に経営が不安定になることもあります。その際に運転資金が不足し、事業継続そのものが困難に陥る。
- 現経営者への退職金問題: 長年会社を支えてきた現経営者への退職金が十分に支払われなければ、現経営者の生活設計が狂うだけでなく、後継者との間にしこりが残り、円滑な引継ぎが阻害されることもあります。
これらの失敗は、いずれも「お金」の問題が根底にあります。
しかし、事前にしっかりと戦略を立てて準備をすれば、その多くは回避可能なのです。
後継者と現経営者、双方が抱える資金の不安
事業承継における資金の問題は、後継者と現経営者の双方にとって、大きな不安要素となります。
後継者の方からは、
「株式を買い取るための莫大な資金をどうやって用意すればいいのか…」
「個人保証まで引き継ぐことへのプレッシャーが大きい…」
「承継後に金融機関はこれまで通り支援してくれるのだろうか…」
といった切実な声をお聞きします。
一方、現経営者の方も、
「自分の退職金や老後の生活資金はきちんと確保できるのか…」
「後継者が資金繰りに失敗して、会社を傾かせてしまわないだろうか…」
「他の相続人との間で、不公平感や争いが起きないだろうか…」
といった悩みを抱えていらっしゃいます。
これらの不安を解消し、双方が納得のいく形で事業承継を進めるためには、やはり早期からの計画的な資金調達戦略が不可欠なのです。
お金の流れは水の流れと同じで、滞ることなくスムーズに循環させることが肝要です。
承継前に準備すべき財務的アプローチとは?
では、具体的にどのような準備をすれば良いのでしょうか。
事業承継を成功させるためには、まず自社の足元、つまり財務体質を正確に把握し、磨き上げることが重要です。
自社の財務体質をどう分析するか? 〜3C資金調達分析の活用〜
私が提唱している「3C資金調達分析」は、事業承継を控えた企業が自社の財務体質を客観的に評価し、資金調達戦略を練る上で非常に有効なフレームワークです。
これは、マーケティングで用いられる3C分析(Customer, Competitor, Company)を、融資審査の観点から応用したものです。
Customer(市場・顧客)分析
まず、自社の製品やサービスがどのような市場にあり、どのような顧客に支えられているのかを分析します。
市場の成長性、顧客基盤の安定性、そして顧客ニーズの変化にどれだけ対応できているか。
これらは事業の将来性、ひいては必要な資金額や返済能力を測る上で重要な指標となります。
Competitor(競合)分析
次に、競合他社の動向を分析します。
競合はどのような財務戦略を取り、どのように資金調達を行っているのか。
市場における自社の強みや弱みを相対的に把握することで、金融機関に対して自社の優位性をどこでアピールすべきか、また、どのようなリスクを指摘される可能性があるかが見えてきます。
Company(自社)分析
最後に、自社の内部環境を徹底的に分析します。
収益力、資産状況、キャッシュフロー創出力はもちろんのこと、技術力、ブランド力、組織体制、そして何よりも経営理念が明確であるか。
これらを客観的なデータに基づいて評価し、金融機関から見て「この会社なら安心して融資できる」と思われるための強みと、改善すべき弱点を洗い出します。
この3つの視点から自社を分析することで、事業承継時における資金調達の勘所が明確になり、より効果的な準備を進めることができるのです。
銀行員の目線で見た「承継前の要注意ポイント」
銀行員が融資審査、特に事業承継が絡む案件でどこに注目するか。
これは経営者の皆様にとって非常に関心の高い点でしょう。
私が銀行員時代に審査担当者として見ていたポイント、そして現在も金融機関関係者からよく聞く「承継前の要注意ポイント」をいくつかご紹介します。
- 後継者の「経営者」としての資質: 単に現経営者のご子息であるとか、長年勤めているというだけでは不十分です。事業計画を自らの言葉で語れるか、リーダーシップを発揮できるか、そして何よりも経営に対する情熱と覚悟があるか。銀行は後継者の「人となり」を想像以上によく見ています。
- 財務諸表の透明性と健全性: 過去の決算書に不自然な点はないか、簿外債務や含み損を抱えた資産はないか。特に承継時は、過去の膿を出し切り、クリーンな状態でスタートできるかが問われます。粉飾決算などは論外です。
- 現経営者への依存度: 「社長がいなければ何も決まらない」「社長の個人的な人脈だけで仕事が回っている」といった属人的な経営体制は、承継において大きなリスクと見なされます。組織として事業が継続できる体制が整っているかが重要です。
- 株式の状況と相続対策: 株式が親族内外に分散している場合、承継時に買い取り資金が多額になったり、経営権が不安定になったりするリスクがあります。また、相続税対策が不十分な場合、納税資金の調達が経営を圧迫することも。
- 経営者保証の取り扱い: 「経営者保証に関するガイドライン」の活用を含め、現経営者の個人保証をどう整理し、後継者への負担をどう軽減するかが焦点となります。金融機関もこの点には非常に敏感です。
これらのポイントを事前に把握し、対策を講じておくことが、スムーズな資金調達への近道と言えるでしょう。
財務三表から見えるキャッシュフローの課題
事業承継を考える上で、自社の財務三表(損益計算書:P/L、貸借対照表:B/S、キャッシュフロー計算書:C/F)を深く読み解き、キャッシュフローの課題を把握することは極めて重要です。
これが銀行の本音です。審査担当者の目線で考えると、単に黒字であるかだけでなく、「実際にどれだけのお金を生み出す力があるのか」を見極めようとします。
損益計算書(P/L)から何を読み取るか
P/Lでは、売上高や利益額もさることながら、その「質」が問われます。
例えば、役員報酬が適正な範囲か、過度な節税対策によって実態の利益が見えにくくなっていないか。
また、売上総利益率や営業利益率が業界平均と比較してどうなのか、その推移はどうなっているのか、といった点から収益構造の安定性や成長性を見ます。
貸借対照表(B/S)でチェックすべきこと
B/Sは、会社の財産状態を示す鏡です。
ここに、回収見込みの低い売掛金や長期間滞留している在庫、あるいは実態価値の低い遊休固定資産といった「含み損」を抱える資産が計上されていないか。
自己資本比率は十分か、有利子負債への依存度は高すぎないか。
特に、借入金の使途が不明瞭であったり、返済計画に無理があったりすると、銀行は警戒感を強めます。
キャッシュフロー計算書(C/F)の重要性
そして、最も重視されるのがC/Fです。
「黒字倒産」という言葉があるように、利益が出ていても手元にお金がなければ会社は立ち行かなくなります。
本業でどれだけキャッシュを生み出せているか(営業キャッシュフロー)、将来のためにどのような投資を行っているか(投資キャッシュフロー)、そして資金調達や返済がどうなっているか(財務キャッシュフロー)。
この3つのバランス、特にフリーキャッシュフロー(営業CFから投資CFを差し引いたもの)が安定してプラスであることが、企業の支払い能力や成長余力を示す上で非常に重要です。
事業承継時には、これらの財務三表を後継者自身が深く理解し、自社のキャッシュフローの強みと弱みを説明できるようになっていることが、金融機関からの信頼を得るための第一歩となります。
承継時に活用できる資金調達手段とは?
さて、いよいよ事業承継を実行する段階で、具体的にどのような資金調達手段が考えられるのでしょうか。
ここでは、代表的な選択肢と、それぞれの活用ポイントについて解説します。
銀行融資を引き出すための「交渉材料」の作り方
銀行融資は、多くの中小企業にとって最も身近な資金調達手段です。
しかし、事業承継という特殊な局面では、通常時とは異なる交渉材料の準備が求められます。
1. 明確で説得力のある事業承継計画書
後継者自身が中心となって作成した、承継後の経営ビジョン、具体的な成長戦略、そして数値目標を盛り込んだ事業承継計画書は、最も重要な交渉材料です。
「現経営者から会社を引き継いで、このように発展させていきたい」という熱意と具体性が伝わる内容が求められます。
2. 後継者の能力と実績のアピール
後継者がこれまでどのような経験を積み、どのような実績を上げてきたのか。
また、経営者としての学習意欲やリーダーシップを具体的に示すエピソードなども有効です。
現経営者が後継者をいかに信頼し、権限移譲を進めているかも見られています。
3. 健全な財務内容と将来のキャッシュフロー予測
前述の通り、クリーンで健全な財務諸表は必須です。
それに加え、事業承継計画に基づいた将来の収益予測とキャッシュフロー予測を提示し、借入金の返済が可能であることを論理的に説明する必要があります。
4. 保全策の提示(担保・保証)
不動産担保や有価証券などの物的担保を提供できる場合は、有利な交渉材料となります。
また、経営者保証については、「経営者保証に関するガイドライン」を踏まえ、必ずしも個人保証に依存しない形での融資を交渉する余地もあります。
5. 透明性の高い情報開示
自社にとって都合の良い情報だけでなく、経営上の課題やリスクについても正直に開示し、それに対してどのように対応していくかを説明する姿勢が、銀行からの信頼を高めます。
これらの交渉材料を丁寧に準備し、自信を持って銀行と対話することが肝要です。
「銀行員時代に私が見た融資審査の現場では」、やはり準備不足の企業と、しっかりと準備をして臨む企業とでは、結果に大きな差が出ていました。
日本政策金融公庫や保証協会の支援制度
民間の金融機関からの融資を補完するものとして、政府系金融機関である日本政策金融公庫や、信用保証協会の制度を積極的に活用することも検討すべきです。
これらの機関は、中小企業の事業承継を支援するための特別な融資制度や保証制度を設けています。
日本政策金融公庫の活用
日本政策金融公庫には、「事業承継・集約・活性化支援資金」といった、まさに事業承継に特化した融資制度があります。
これは、後継者が株式を取得するための資金や、事業用資産を買い取るための資金、さらには承継後の設備投資や運転資金など、幅広い用途に利用できます。
民間の金融機関に比べて、比較的低利で長期の融資が期待できる点が大きなメリットです。
また、公庫は事業承継マッチング支援といった情報提供サービスも行っていますので、資金調達以外の面でも相談してみる価値はあるでしょう。
信用保証協会の活用
全国各地にある信用保証協会も、事業承継を資金面でバックアップする多様な保証制度を用意しています。
例えば、「事業承継特別保証」は、一定の要件を満たせば経営者保証なしでの資金調達を後押しするもので、後継者の負担軽減に繋がります。
また、「経営承継関連保証」は、後継者が株式等を取得するための資金や、現経営者から事業用資産を買い取るための資金などを保証対象としています。
これらの公的制度は、それぞれ利用条件や手続きが異なりますので、早めに情報を収集し、専門家にも相談しながら活用を検討することをお勧めします。
エクイティファイナンス(VC・エンジェル等)の是非
エクイティファイナンスとは、新株発行などにより、返済義務のない自己資本を調達する方法です。
代表的なものに、ベンチャーキャピタル(VC)やエンジェル投資家からの出資があります。
メリットとしては、
- 借入ではないため、金利負担や返済プレッシャーがない。
- 出資者が持つ経営ノウハウやネットワークを活用できる可能性がある。
- 財務体質が強化され、企業の信用力向上に繋がる場合がある。
デメリットとしては、
- 経営権の一部を譲渡することになるため、持株比率が低下し、経営の自由度が制約される可能性がある。
- 出資者は将来的なキャピタルゲイン(株式公開やM&Aによる売却益)や配当を期待するため、そのプレッシャーが伴う。
- 投資家と経営方針が対立するリスクもある。
事業承継においてエクイティファイナンスを活用するケースとしては、MBO(マネジメント・バイアウト:経営陣による企業買収)やEBO(エンプロイー・バイアウト:従業員による企業買収)の際の資金調達、あるいは承継後の成長戦略を加速させるための資金調達などが考えられます。
ただし、特に伝統的な中小企業においては、経営の独立性を重視する傾向が強く、外部資本の導入には慎重な判断が必要です。
「これは銀行の本音です」が、エクイティファイナンスは諸刃の剣となり得るため、導入の是非は専門家と十分に協議することが不可欠です。
私募債・クラウドファンディングといった新たな選択肢
近年、資金調達の選択肢は多様化しており、私募債やクラウドファンディングといった手法も注目されています。
私募債
私募債は、特定の少数の投資家(取引先、地域金融機関、縁故者など)に対して社債を発行し、直接資金を調達する方法です。
公募債に比べて発行手続きが簡便で、金利や償還期間などの発行条件を比較的柔軟に設定できるメリットがあります。
また、地域の支援者や企業理念に共感する投資家から資金を募ることで、単なる資金調達以上の関係構築に繋がる可能性も秘めています。
クラウドファンディング
クラウドファンディングは、インターネットを通じて不特定多数の人々から少額ずつ資金を集める仕組みです。
その形態は様々で、以下のようなものがあります。
種類 | 特徴 | 事業承継での活用イメージ |
---|---|---|
購入型 | 支援者へ商品やサービスをリターンとして提供 | 後継者の新商品・新サービス開発、店舗改装プロジェクトなど |
寄付型 | リターンを求めない純粋な寄付 | 地域貢献型事業、社会貢献活動の資金 |
融資型 | 複数の個人投資家から小口資金を集め、企業へ融資(ソーシャルレンディング) | 運転資金、小規模な設備投資など |
株式投資型 | 非上場企業の株式を発行し、投資家から出資を募る | 成長資金の調達、株主構成の多様化 |
クラウドファンディングの魅力は、資金調達に加えて、企業のPR効果やテストマーケティング、さらには熱心なファンを獲得できる可能性がある点です。
事業承継を機に新しいチャレンジをしたい、あるいは自社の理念やストーリーを広く伝えたいと考える後継者にとって、有効な手段となり得るでしょう。
ケーススタディ:製造業A社の承継資金戦略
ここで、私が実際にコンサルティングを行った製造業A社の事例(プライバシーに配慮し一部改変しています)をご紹介しましょう。
A社は、精密部品加工を手掛ける従業員30名ほどの中小企業です。
創業社長であるB氏(70歳)は、長男であるC氏(40歳)への事業承継を考えていましたが、いくつかの課題を抱えていました。
- 課題1:自社株評価額の高さ
長年の黒字経営により内部留保が厚く、自社株の評価額が非常に高くなっていました。C氏が個人で買い取るには資金的に困難な状況でした。 - 課題2:老朽化した設備の更新
主力設備が老朽化しており、承継を機に最新設備へ更新し、生産効率と品質を向上させたいというC氏の意向がありましたが、そのための資金も必要でした。 - 課題3:社長個人の借入金保証
B社長は会社の借入金に対して個人保証をしており、これをC氏に引き継がせることへの懸念がありました。
そこで、A社は以下のような資金戦略を実行しました。
1. 役員退職金の活用と種類株式の発行
まず、B社長に適正な役員退職金を支払い、これを原資の一部としてC氏がB社長から株式の一部を買い取りました。
残りの株式については、議決権のない配当優先株式(種類株式)に転換し、B社長が引き続き保有することで、C氏の議決権比率を高め、経営権を集中させました。これにより、C氏の初期の株式取得資金負担を大幅に軽減できました。
2. 日本政策金融公庫の事業承継支援資金の活用
老朽化設備の更新資金については、日本政策金融公庫の「事業承継・集約・活性化支援資金」を活用しました。
C氏が中心となって策定した、新設備導入による生産性向上と新規顧客開拓を目指す事業計画が高く評価され、低利かつ長期での融資が実現しました。
3. 経営者保証ガイドラインに基づく保証解除交渉
メインバンクに対し、「経営者保証に関するガイドライン」に基づき、B社長の個人保証解除の交渉を行いました。
C氏への経営体制移行が順調であること、財務状況が健全であること、そして公庫からの新たな融資により財務基盤が強化されることを丁寧に説明し、結果としてB社長の保証は解除され、C氏も新たな個人保証を提供することなく借入を継続できました。
この結果、A社は財務的な負担を抑えつつ、円滑な事業承継と承継後の成長に向けた設備投資を実現することができました。
これは、事前の計画と専門家との連携がいかに重要かを示す好例と言えるでしょう。
承継後の資金繰りを安定させるには?
事業承継はゴールではなく、新たなスタートです。
後継者が経営の舵取りを始めた後、いかにして資金繰りを安定させ、事業を成長軌道に乗せていくか。
ここにも重要なポイントがあります。
「キャッシュ・コンバージョン・サイクル」の見直し
「キャッシュ・コンバージョン・サイクル(CCC)」という言葉をご存知でしょうか。
これは、企業が原材料の仕入れに現金を投じてから、製品・サービスを販売して現金を回収するまでの期間を示す指標です。
計算式は以下の通りです。
CCC = 売上債権回転日数 + 棚卸資産回転日数 – 仕入債務回転日数
このCCCが短いほど、資金効率が良い経営ができていると言えます。
逆にCCCが長いと、その期間、運転資金が寝てしまうことになり、資金繰りを圧迫します。
私が銀行員時代に見てきた多くの倒産企業は、黒字であってもこのCCCの管理が甘く、資金ショートで破綻していました。
後継者は、まず自社のCCCを正確に把握し、その短縮に取り組むべきです。
具体的には、
- 売掛金の回収サイトを短縮する交渉
- 在庫を圧縮し、適正な水準に保つ努力
- 支払サイトの適正化(ただし、取引先との力関係も考慮が必要)
といった地道な改善活動が、資金繰りの安定に大きく貢献します。
売上至上主義から脱却するための資金計画
特に日本の中小企業に根強く残っているのが「売上至上主義」です。
もちろん売上は重要ですが、売上だけを追い求めるあまり、利益率の低い取引に手を出したり、無理な掛売りで回収リスクを高めたりしては本末転倒です。
重要なのは、売上高ではなく、手元に残るキャッシュです。
後継者は、この意識改革を社内に浸透させるとともに、キャッシュフローを重視した資金計画を策定・実行する必要があります。
そのためには、
- 損益分岐点を正確に把握し、どれだけの売上があればどれだけのキャッシュが残るのかをシミュレーションする。
- 売上予測だけでなく、入金サイト、支払サイト、在庫の増減、設備投資計画、借入金の返済計画などを総合的に盛り込んだ、精度の高い資金繰り表を作成し、予実管理を徹底する。
- いざという時のために、最低限必要な手元現預金(例えば月商のXヶ月分など)の目標水準を設定し、それを下回らないように管理する。
こうした地道な取り組みが、盤石な財務基盤を築き上げます。
後継者が初期にやるべき資金繰り改善アクション
後継者が事業を引き継いだ初期段階で、特に注力すべき資金繰り改善アクションをいくつか挙げます。
これらは即効性があるものも多く、早期に着手することで経営の安定化に繋がります。
1. 売掛金管理の徹底強化
請求漏れや遅延がないか、入金サイクルは適正か、徹底的にチェックします。
回収が遅れている取引先には、丁寧かつ毅然とした態度で督促を行うことも必要です。
2. 在庫の棚卸と圧縮
まずは正確な在庫状況を把握することから始めます。
長期間動いていない不良在庫や過剰在庫は、思い切って処分することも検討しましょう。
適正在庫の基準を設け、発注サイクルを見直すことも重要です。
3. 不要不急な経費の洗い出しと削減
固定費・変動費を問わず、聖域なく経費を見直します。
本当に必要な支出なのか、もっとコストを抑える方法はないのか、全社的に意識を高めることが大切です。
4. 金融機関との良好な関係構築
現経営者から引き継いだ金融機関との関係を、後継者自身がさらに深化させることが重要です。
定期的に業況を報告し、試算表や資金繰り表を提出するなど、透明性の高い情報開示を心がけましょう。
「審査担当者の目線で考えると」、こうした真摯な姿勢は必ず評価されます。
これらのアクションは、いわば会社の足腰を鍛えるトレーニングのようなものです。
地味に見えるかもしれませんが、着実な効果を生み出します。
事業成長に向けた資金調達ポートフォリオの構築
資金繰りが安定してきたら、次のステップは事業成長のための資金調達です。
この際、重要なのは「資金調達ポートフォリオ」という考え方です。
これは、単一の資金調達手段に依存するのではなく、企業の成長フェーズや資金の使途、リスク許容度に応じて、複数の調達手段を戦略的に組み合わせるというものです。
例えば、
- 短期的な運転資金:銀行の当座貸越やファクタリング
- 大規模な設備投資:日本政策金融公庫の長期融資やリース
- 新規事業やM&Aのための成長資金:増資(エクイティファイナンス)や社債発行
- 研究開発費:国や自治体の補助金・助成金
このように、資金の性質に合わせて最適な調達方法を選択し、組み合わせることで、調達コストを抑制し、財務リスクを分散し、機動的な資金調達が可能になります。
銀行融資一辺倒ではなく、成長フェーズに応じた多様な資金調達手段を組み合わせる「資金調達ポートフォリオ」の構築が、これからの経営者には求められます。
まとめ
事業承継は、単に経営者が交代するという「人」の問題だけではありません。
それは同時に、会社の未来を左右する「お金」の問題でもあります。
これまで見てきたように、資金調達戦略の巧拙が、承継の成否、そして承継後の企業の成長を大きく左右するのです。
私が長年、金融と経営の現場で見てきた中で確信しているのは、成功する事業承継は、周到に計画された資金戦略から始まるということです。
それは、一朝一夕にできるものではなく、現経営者と後継者が、そして時には専門家の力も借りながら、時間をかけて準備していくものです。
この記事をお読みいただいた経営者の皆様、そして後継者の皆様への私からの提言は、シンプルです。
「『今から』準備できることを始めましょう」ということです。
自社の財務状況を正確に把握すること。
後継者と共に事業の将来像を描き、それを具体的な事業計画に落とし込むこと。
そして、必要であれば、我々のような専門家に遠慮なく相談すること。
その一歩が、円滑な世代交代と、会社の持続的な成長への確かな道筋となるはずです。
皆様の事業承継が成功裏に完了し、次世代へと価値あるバトンが繋がれることを心より願っております。